とちぎ探訪

とちぎ探訪 · 2019/10/13
平安時代の仏教興隆の礎は、弘法大師空海による真言宗と伝教大師最澄による天台宗の広がりに特色を有します。しかしとりわけ関東や東北地方にまでそれが普及したのは、866年に、清和天皇より、日本最初の大師号を授けられた天台宗の二祖「慈覚大師円仁」の偉業によるところが大きいといえます。そこで、大師の労苦と事績の断片をまとめてみました。円仁(えんにん)は第3代天台座主です。794年に下野国都賀郡(現・栃木県壬生町の紫雲山壬生寺内)で、一説には豪族壬生氏の子として生まれたと言われています。・・・

とちぎ探訪 · 2018/05/27
壬生町は、栃木県の中央からやや西南部、下都賀郡の北部に位置します。町域は南北に長いひし形を示し、黒川と思川がつくった複合扇状地の末端部にあたります。関東平野沖積地の北端最上部でもあり、各所に湧水を分布させ、南は豊かな水田地帯、北は台地上の畑作地がはるかに連なります。特に、扇央部ではイチゴやかんぴょうを培くみ「壬生町」の特産品として有名になりました。 地理的性格は、南日本と北日本の境界線上にあり且つ、北関東のほぼ中央、すなわち気候上も自然地理上も日本の中間的位置にあるといえます。

とちぎ探訪 · 2016/05/01
【壬生氏の出自】 壬生氏の出自は諸説あるようです。室町時代に京都の官人家・壬生家(小槻氏)の後裔として、壬生胤業を祖とする説。毛野氏族の壬生氏(壬生公)の後裔とする説。あるいは、壬生胤業を宇都宮氏庶流横田氏の一族である壬生朝業の末裔とし、壬生朝業を壬生氏の祖とする説。さらに、天台宗三世座主に就いた慈覚大師円仁を出した上古からの在庁官人壬生氏の後裔とするものがあります。この上古壬生氏は、古代に東国を平定したた崇神天皇の皇子豊城入彦命の後裔を称し、平安初期都賀郡南部を勢力下においた豪族で、円仁が修業した大慈寺の発展にも寄与した豪族であったとのこと。そしてこの壬生氏が平安、鎌倉時代において徐々に武士化し、室町時代中期に壬生城を築いた。やがて、宇都宮氏の被官となり、家督に宇都宮氏もしくはその一族から養子を迎えて、宇都宮氏の一門として発展してきたと説かれています。

とちぎ探訪 · 2015/11/22
【伝説の将軍 藤原秀郷】十世紀半ば、下野国を攻めるなど、ときの朝廷を震撼させた平将門の反乱(天慶の乱)がありました。このとき、抜群の軍功をあげ、のちの藤姓足利氏の先祖となる下野国の押領使藤原秀郷「俵(田原)藤太秀郷」という武将がいました。秀郷にはいくつもの伝承があり、中でも大ムカデを退治した次のような物語が有名です。 天皇から恩賞として下野国に領地をもらい下向の途中、「勢多の唐橋」で、龍神から近江の国三上山の大ムカデの退治を頼まれ、それに成功します。その礼に秀郷は三つの不思議な宝物を龍神から授かり、さらに招かれた龍宮でも黄金の鎧と黄金の太刀などを授かり、龍王はこの鎧と太刀で悪者を倒せば、きっと将軍になれると秀郷に告げたといいます。かたや平将門は関東を占領し新王と名乗っていました。将門は余りに超人的で無敵でありましたが、秀郷は龍神の助けでみごと此を討ち取り、蝦夷征伐のための鎮守府将軍と武蔵・下野両国の国司に任じられたといいます。

とちぎ探訪 · 2015/07/07
rental;wikipedia : File:Shimotsuke Kokucho Ruins maedono.JPG 【下野国の成立】 律令制度の古代五畿七道、畿内より遠国として位置つけられる東山道に属する下野国は、律令国家の確立過程において、渡来人の移配地として多文化交流が盛んになり、先進的な技術や文化がもたらされたと「日本書紀」にあります。...

とちぎ探訪 · 2015/05/29
【下野市】 栃木県下野市は、2006年に河内郡南河内町と下都賀郡国分寺町、同石橋町の合併により新設されました。旧国分寺町及び旧南河内町には、巨大古墳・国府・日本三戒檀薬師寺など長い歴史の中で培われた文化財が多く残されています。また古くより交通の要衝でもあったこの地域に1972年自治医科大学が設置され、地域医療においても先鞭となる街となりました。

とちぎ探訪 · 2015/01/07
富士山古墳出土 家形埴輪 【とちぎ探訪】壬生町羽生田 年末に、羽生田古墳群を散策しておりましたところ、茶臼山古墳入口にて当地区古墳群マップが配布されておりました。そこで、当該資料に基づき当地区古墳群解説の概要を転記します。 羽生田地区の古墳群...

とちぎ探訪 · 2014/12/04
【とちぎ探訪】壬生町羽生田 いにしえの王国羽生田には数多くの首長墓級大型古墳が築造されました。 国指定史跡の茶臼山古墳(6世紀後半)をはじめ、周辺に富士山古墳、長塚古墳、桃花原古墳、亀の子塚古墳、判官塚古墳(鹿沼)があります。 特に茶臼山古墳は丘陵の先端に築かれていて二段重ねの前方後円墳として総全長は140mにも達します。...

とちぎ探訪 · 2014/11/12
市川市の須和田で発掘された「須和田式土器」 【とちぎ探訪】壬生町羽生田 壬生町の縄文時代の遺跡として、中期から後期にかけての土器が多く出土する八剣(やつるぎ)遺跡と上田遺跡があげられます。 弥生時代に入ると遺跡の数は極端に減少する傾向にあるようです。 弥生時代はわずか数百年程度と短期間ですが、社会・政治上の変化は大きい時代でした。...

とちぎ探訪 · 2014/11/07
【とちぎ探訪】壬生町福和田 福和田は、壬生町のほぼ中部、黒川の東側に接する小高い台地に位置し、南北に走る県道172号線沿いを中心にのどかな町並みが続いています。 明治22年に町村制施行により旧上稲葉村と旧福和田村等が合併し稲葉村となり、昭和29年稲葉村が壬生町と合併し壬生町大字福和田となりました。

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