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壬生町/慈覚大師円仁

rental:wikipedia 入唐求法巡禮行記

平安時代の仏教興隆の礎は、弘法大師空海による真言宗と伝教大師最澄による天台宗の広がりに特色を有します。しかしとりわけ関東や東北地方にまでそれが普及したのは、866年に、清和天皇より、日本最初の大師号を授けられた天台宗の二祖「慈覚大師円仁」の偉業によるところが大きいといえます。そこで、大師の労苦と事績の断片をまとめてみました。

 

円仁(えんにん)は第3代天台座主です。794年に下野国都賀郡(現・栃木県壬生町の紫雲山壬生寺内)で、一説には豪族壬生氏の子として生まれたと言われています。


『大師伝』には、「誕生の日、その家の上に紫雲たなびき、大慈寺の僧広智がこれを望み、尋ねてみると壇越の壬生氏の家であり、男児出生を知って、よく愛養するようにと告げたという」とあります。

 

※ 現在の壬生寺の堂宇は、慈覚大師の千五百年遠忌に当る大正2年、日光輪王寺門跡彦坂諶照を総裁とする報恩会によって建立された。大師堂は貞享3(1686)年日光輪王寺門跡天真法親王の発願により、壬生城主三浦壱岐守直文が建立し、文久2(1862)年一千年大遠忌に輪王寺門跡慈性法親王が再建されたものである。殊に春の節分会には近郷の人々で賑わい、秋には銀杏の大樹が陽に輝いて美事である。-引用 壬生町史

 

円仁は、早くに父を亡くし、母親と兄に育てられました。兄からは儒学を進められましたが、早くから仏教に心を寄せ、栃木市岩舟町小野寺にある名刹大慈寺で修行し高名な広智の教えを受けました。

 

聡明で勉学熱心な円仁は、広智の推挙もあって、15歳のころ夢に現れた高徳の僧「最澄」を敬慕し比叡山延暦寺での修行に勤めます。最澄の下で才智あふれる円仁はめきめきと頭角を現し21歳で得度、正式の沙弥となり、30歳から6年間山に籠もり厳しい修行に耐え、39歳で最高位の伝燈満位を授けられました。

 

円仁が特に世界的な人物と言われるゆえんは、45歳のとき遣唐船で唐に渡ることから始まります。以下入唐請益から帰国までの主な出来事を記します。

 

  • 西暦835 史上最後の遣唐使派遣が決定、入唐請益僧となる
  • 836 一回目の渡航失敗、太宰府から出発するも、逆風に遇って漂廻し太宰府にもどる
  • 837 二回目の渡航も失敗、松浦郡旻楽埼を目指し太宰府から出発したが、またしても逆風によってもどる
  • 838 博多津から出発『入唐求法巡礼行記』記し始める。揚州海陵県白潮鎮桑田郷東梁豊村に上陸し入唐する、揚州開元寺に住する
  • 839 入唐より求めた天台山への請願が許可されず、大使帰国の時期に到るも帰国せず、唐に留住する決意をする
  • 840 五台山に到着、諸院を巡礼し大華厳寺に入る、志遠和尚はじめ多くの名僧らの教えに接する、その後、長安に到着、四年半にわたり密教の哲学体系としての金剛界及び胎蔵界にかかわる膨大な思想を学び終え、さらに古代インド語や音韻学にも精通した

 

※ 中国大陸から円仁が我が国にもたらした品々が、その『将来目録』に記録されている。「長安城にあって求むるところの経論章疏伝など四百二十五部五百五十九巻、胎蔵・金剛両部大曼荼羅及び諸尊曼荼羅の壇様並びに道具二十一種」という。仏教の基本経典である経文類やそれらをめぐる哲学論や注釈論、さらには名僧たちの諸伝記に至るまでの膨大な文献の収集書写がその第一である。また、仏の世界を図式化し、あるいは仏像として配置して具現化するための様式からその道具類などの収集品も多数に上った。その書写と収集は実に驚異的な努力であり、国際的な知見も少なからぬものがあった。 ― 引用 壬生町史

 

  • 841  金剛界曼荼羅を描き終わる、伝法灌頂を授けられる、金剛界九会曼荼羅を描き始める、胎蔵界大法、蘇悉地大法を受ける
  • 842  「会昌の廃物」すなわち武宗の大弾圧が始まる
  • 844 武宗、経典を焚焼し、仏像を 破壊することを命令する
  • 845 外国人僧追放命令により帰国がかない、長安を去る
  • 847 苦難の旅を経て円仁帰国する

 

円仁は渡唐の機会に台湾哲学を学び、835年の発向以来、数々の経典を書写し、長安を始め各地を巡礼し帰国しました。それまでの十余年の歳月を克明に記録した「入唐求法巡礼禮記」全4巻。マルコポーロの「東方見聞録」の記録をも凌ぐ、 玄奘三蔵の「西遊記」とともに、驚異の大旅行記として、今の時代でも世界的に高く評価されており、まこと多彩詳細な、歴史上の得がたい第一級の史料といわれています。

 

かくして冒頭の通り、世界史的偉業である入唐求法の一大行脚を遂行した円仁は、854年、空位であった延暦寺第3代天台座主に任命されます。866年勅あって我が国初の大師号「慈覚大師」号が授けられました。円仁は、まさに郷土の誇り、栃木県が生んだ最も偉大な人物であります。

 

壬生町おすすめの一品

 

壬生町通町 そば処 都庵の「円仁そば」


手打ちにこだわり、おいしいお蕎麦を提供してくれます。おすすめは何と言っても「円仁そば」。つゆは昔ながらの濃口仕上げ(薄口も有り)。お蕎麦にちょいと絡めてずずッと流し込めば、最高ののどごしが味わえます。店内はテーブル席の他、カウンター、お座敷席もある。メニューは豊富でつまみも旨い。酒とお蕎麦がよく似合う老舗の人気店です。是非!

 

参考文献 壬生町史通史編

 


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