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壬生町/羽生田 本学谷東遺跡

市川市の須和田で発掘された「須和田式土器」

 

【とちぎ探訪】壬生町羽生田

壬生町の縄文時代の遺跡として、中期から後期にかけての土器が多く出土する八剣(やつるぎ)遺跡と上田遺跡があげられます。

弥生時代に入ると遺跡の数は極端に減少する傾向にあるようです。

弥生時代はわずか数百年程度と短期間ですが、社会・政治上の変化は大きい時代でした。

壬生町本学谷東遺跡は、畑の耕作中に須和田式土器三個体が出土した貴重な遺跡です。

また、須和田式土器は、近年に至るまで、関東地方における弥生時代成立の基準的な資料として重要な位置を占めてきました。

 

これまで、狩りや魚とりの暮らしをしていた縄文時代から、弥生時代に移るころ、米作りが始まり「むら」ができました。

やがて、小さな「くに」が各地にできて、豪族たちがおさめるようになります。

 

はるか、邪馬台国の女王「卑弥呼」が中国に使いを送ったとされるころ・・

壬生町は、水と緑に恵まれた土地にあり「むら」や「くに」として暮らしが栄え、多くの足跡を残しています。

 

ますます、深みにはまってまいりました・・・・

引き続き、(素人ながら)歴史探訪を続けてまいります。

 

詳しくはこちら↓(ウィキペディアより)

「卑弥呼」

 

参考資料:壬生町教育委員会 壬生町埋蔵文化財報告書第13冊

 

次回は壬生町羽生田の街並みを予定します。